情報発信開始から半年、そして起業1年目。 おりゅうのこれまでとこれから

ビジネス

おりゅうです。

 

Twitterを使った情報発信を本格的に開始して、気づけば半年が経過していました。

 

なんせ平日は帰宅時間が22時過ぎますから

平日は夜寝る間も惜しんで知識のインプットやコンテンツ作りに没頭し、

土日もほぼ遊ばずに作業していたりなどしていたら、

あっという間に半年間が経ってしまったという感じです。

 

この半年間で、僕の人生は本当に大きく変わりました。

 

 

▶︎情報発信を始める以前の僕の人生

 

・高校の時に母親が不倫、父親がDV化し、自分のことしか信用できなくなった。

・小学校から高校まで、習い事、受験、部活、勉強何をやっても上手くいかず自分の才能の無さに悲観し続ける。

・大学受験、加えて人生を決める就職活動にまで失敗し、とにかくセンス才能のある他人妬み、客観視できなくなる

・仕事でも上司や先輩に罵倒され、あまりのストレスから「無い金」を使いまくり、外車を買ったみたり毎週旅行に行っていた。

・その結果、借金は600万ほどまで膨らみ、クレカも強制解約、車のローンも支払えず、裁判所から出頭要請が来る

・クラブであった男にアムウェイに勧誘され、まんまとカモに。お金も失い、友人も複数人失った。

・当時最愛の彼女に資金が無いなりに結婚のプラン提示をしたが、「金がない」という理由でその場で別れを切り出される。

・転売、バイナリーオプションなどあらゆる副業失敗、人生への絶望感から国道で170キロだし自殺を図る。

 

 

▶︎本格的に情報発信を始めて半年経った今

 

・5ヶ月で2,000万円稼ぐ。

・最高月収は620万円に。

・自分の才能、センスの無さに悲観することがなくなった。

・見知らぬ人と会うことが嫌いだったが、今では人と会い話すことが好きになる。

・すごくケチ&ビビりだったか、一括で200万円の知識投資をする。

・ルイヴィトンで一括100万円の買い物をし、常連でも招待されないルイヴィトンのVIPイベントに招待される。

・両親への嫌悪感が薄れ、還暦祝いに100万円を使った沖縄旅行を約束した。

 

 

今自分で書き出していて思ったのですが、

自分のメンタル面や、取り巻く生活環境の変化がエグすぎて笑えてきます。

 

 

この半年間は、僕の人生で最も密度の濃い時間となりました。

 

 

今でこそ言える話ですが、昔は本当に酷かった。

 

常に幼少の頃から「センス」「才能」というトラウマが僕にグルグルと取り巻き、

他人を妬んでは自分に悲観するどうしようもない奴でしたし、

そんな自分への鬱憤を「無い金」でしか晴らせず、ずーっと現実逃避をしてきました。

 

現実に戻ってくるのは借金の額を、マジマジと確認するときだけ。

 

でもあれですね、なんか億くらい借金があれば自己破綻みたいな感じで吹っ切れられるかもしれないですが、

なんか500万前後の借金って「めちゃ頑張れば返せそうだけど、実際は厳しい」というすごく微妙なラインで、

人を一番死にたいと思わせる額なんですよね、間違いなくあの頃の僕には死神が取り憑いてたと思います。

 

何だか、指が動くままに書いていたら熱が入ってきてしまいました。

もう少し、僕の人生史の振り返りについてきてもらえれば嬉しいです。

 

 

才無き自分に抗った、苦悩と挫折の連続の人生

 

1993年1月29日、僕が長男としてこの世に生まれ落ちた時の性格は、超消極的&内向的でした。

人と話すのが怖いし、自分の言えないことは言えないし、何より目立つのが大嫌いでした。

 

 

今でもやばかったなと思える出来事は、

幼稚園の年長の時、帰りの幼稚園バスで便意(大)をもよおしたけど

同乗していた先生に言うのが恥ずかしくて、目立つのが恥ずかしくて、

どうすることもできなくて、静かに排出してしまった。

 

マンションの下まで迎えにきた母親は僕を見て優しく接してくれたけど、

僕って昔から体が弱くて流行病は、それはもうファッションスター並みにいち早く流行に乗って罹ってたし、

夜尿症という「就寝している時に無意識下で尿をしてしまう」という病もかかっていて、

そういう事もあって、母親は僕に対して異常なほどに過保護になっていきましたね。

 

 

母に寵愛され育ちましたから、

世間一般でいう「マザコン」という状態に陥るのにはあまりに容易すぎましたね。笑

 

 

母を守りたいという短絡的な想いから、小学1年生の時には「空手を習いたい」と母に告げ、

毎週毎週空手道場に通っては母に良い姿を見せたくて鍛錬に励んできた自分でしたが、

肝心の最初の大会で、道場の他の子達は入賞したのに、「自分だけ」が入賞できなかった。

この経験が僕の「トラウマの起源」です。

 

 

母に「僕の格好良いところを見せたい」という想いから、

運動会でリレーの選手になれるよう毎日校庭を走り込んでいたし、

マラソン大会では、ゴールに親御さん達が待っているから、

一桁位で入賞して母に喜んでもらおうと、土手に赴いては足に重りをつけて

坂道ダッシュを何本もしてたけど、

結果的に小学校6年間どちらも叶うことはなかったのを覚えています。

 

 

母からのオファーで、中学受験をすることになり、

小学校4年からは嫌いだった勉強もこなしてきた、

塾では最上位クラスにも所属することができた、

なのに、母と僕が第一志望としていた中高一貫校の合格の門を叩くことはできなかった。

 

 

これらの体験が僕のパーソナリティにはかなり影響していて、

「やってるのに何故かできない」という経験を積み重ねを続けるうちに、

「俺って、才能ないから何やってもダメなんだな」という思い込みが自然と強化されていきました。

 

 

僕が運動できないのも、勉強ができないのも、愛してくれる母親の期待に応えられないのも、

全部僕という人間に才能が備わってないせいなのかな?

 

 

こんな考えがすっかり僕に憑依してしまって、、すごくすごく悲しかったな。

 

僕は決して貧乏な家庭で生まれたわけでもなかったし、

何不自由なく育てられ生活はいわば「安寧」だったけど、

 

変に負けず嫌いだから、できない自分への怒りや悔しさ、そして悲壮感を

常に感じていた一方で、期待をかけてくれる母親からの見限りが怖くて

僕の精神状態だけは、常に「混沌」としている感じがずっとあったのを覚えています。

 

 

更に自分を捻くれさせて言ったのは、高一の時に

「母親が不倫したこと」、そして「父親がDVになったこと」

母はその頃から僕と弟に「アンタ達がいなければ出ていけるのに」と口ずさむようになり、

父は何かにつけて母に暴力を振るうようになった。

 

 

父は身長が185センチの巨体で当時の僕からしたら「進撃の巨人」そのもの、

母に暴力を振るう父に仲裁に入った事もあるけど、

 

 

「黙ってろお前はぁ!」と発狂した父は、

僕の軟弱な体なんぞ一撃で吹き飛ばし、

当時は、暴力を受ける母を目の当たりにしながらも、

自分の無力感にへたり込むことしか出来なかった。。

 

 

これが僕の中で「他人は信じれない、信じれるのは自分のみ」という思想が形成された要因であり、

僕の「誤った生き方」が定まった出来事です。

 

 

あんなにも僕を愛してくれていた母親への喪失感、そしてこの家庭は普通ではないのだという絶望感、

(多分僕が、NARUTOで登場するうちは一族だったら、この時写輪眼を開眼したのかなと、今だから笑えますが。)

当時こういった感情を骨の髄まで味わうことになった僕は、もう家族には何も頼れないと。

 

「できない自分を信じるしかない」というアンビバレンツな感情をひどく抱くことを避けられませんでした。

 

NARUTOの漫画でマイトガイという先生忍者が、ロック・リーという出来損ない教え子忍者に

こういうセリフを投げかけるシーンがあります。

「自分を信じない奴なんかに、努力する価値はない」

このセリフを見た時に大きく感銘を受け、自分の励みの言葉として、

心の中に保存してたのですが、

 

 

何とも皮肉なことに、この時僕の中では

「できない自分を無理やり信じ込んで、努力するしかない」という言葉に変換された瞬間でもあります。

 

 

「できない自分を信じる、そして信じれるのは自分だけ」

そう思い込むことは自分をひどく、孤独に追いやりました。

 

 

唯一の救いだったのは、当時僕と付き合ってくれていた彼女が、

僕の話を聞いて、涙ながらに僕にくれた言葉でした。

 

「勉強頑張って同じ大学一緒に行こう?そしたら一人じゃないでしょう?」

 

一見恋愛漫画に出てきそうなワンシーンのようですが、

自己肯定感が下がり続けて、自分が信じきれなくなってしまっていた僕は、

この言葉に救われ、彼女の前で目を腫らしながらワンワン泣いてしまったのが懐かしいですね、、

 

 

孤独というものは、命を捨てるより、人としての良心を守るより、何より恐ろしいものです。

その孤独から救ってくれる人間こそ、絶自分にとって絶対の存在になるんだなと。

そしてその人が自分に唯一存在価値を与えてくれる人なのだと。

 

 

僕を孤独から救ってくれたのが、

「彼女」という善人だったから、僕は道を踏み外さずに済みました。

 

 

人はわかっていても、孤独には勝てないのです。

 

孤独を恐れて、外へ居場所を求めれば、

世間で言われる不良や非行と呼ばれてしまう。

 

外に居場所を作れない人は、引きこもりやゲームなどの二次元世界にのめり込む。

 

そうしてまでも、人は人との繋がりの中で、自分の存在意義を保っているのだと思うのです。

内の世界で孤独を感じたら、外の世界へ自分の居場所を求める。

外の世界で孤独を感じたら、内の世界へ自分の居場所を求める。

 

そういうものだと思うのです。でも、それでいい。

 

どちらの世界でも、たった一人でもいいから、

本当に自分の気持ちを理解してくれる人に出会えたならきっと、

違う道へ行く道筋が見えてくるものです。

大切なことは孤独に生きないこと。

 

 

当時の僕はここまで思うことはありませんでしたが、

半年間ビジネスを一匹狼でやってきた28歳の今、振り返ってみてそう思います。

 

 

と、話が逸れてしまいました。

彼女による一言で、僕が僕自身に存在意義を見出せたからこそ、

僕は高一の末で部活を辞め、高二からは放課後毎日教室に残り、

校門が閉門するその直前まで勉強に没頭する生活が始まったのですが、

「自分には才能やセンスがない」そういう思い込みからまたもや葛藤する日々がやってきたのです。

 

 

何ともその彼女は医者の子ということもあり、勉学の才に長けていたのでしょう、

彼女の模試の成績はいつも一桁台である一方で、

 

僕は本気で勉強しているはずなのに、模試で全く良い成績が取れず、、、

今思い返すと狂気の沙汰だと思いますが、やっても何故かできない自分に腹をたて、

自宅で自室の壁に、おでこの皮が擦り切れるまで、ガンガン頭を打ち付けていましたね。。

 

自分の感情が心のコップから溢れ出した時って、なんていうか感覚がなくなってしまうのです。

 

当時の僕には思い込みやバイアスを取り除いて、

正しい方向に自分をリードすることができなかった。

 

だから、いつしか無意識のうちに彼女に対する競争心や妬みで、彼女を客観視できなくなっていました。

 

恐ろしいですよね、こういうことって無意識のうちに自分が意図してなくとも相手に伝わってしまうもの、

 

あんなにも僕の存在意義を作ってくれた彼女と、次第に疎遠になることを避けられなかったのです。

 

最終的には、僕の大学受験は失敗に終わりました。

決して悪い大学に行ったわけではなかったので、

第一志望に合格できずとも人生的に見れば成功だったのですが、

彼女と同じ所へは届かなかったという意味での失敗。

 

「俺に才能があれば」

 

いつもこう思う時は悔しさ、妬み、怒りの感情で溢れるのですが、

この時だけは、虚しさというか、悲しさというか、申し訳なさいうか、

もらった愛情を無下にしてしまい、

妬みや競争心という感情を一方的にぶつけてしまったこと対しての感情だったなと。

 

 

このことは僕が今の人生において、未だに残留したままになっている罪です。

 

 

僕の大学時代はというと、よさこいを踊るサークル活動に没頭し、

正直いうと、ネットビジネスのことなんぞ、頭の片隅にもなかったです。

 

将来のことなんて、後回し。

 

ただ今を楽しめればいい。

 

後先も考えずウェイウェイやってた自分を

今人生の中で、一番後悔しています。

 

 

この頃にネットビジネスに出会っていればと、

この頃から、ネットビジネスに夢中になっていたら

今どんな人生を送っていただろうと。

 

 

後悔先に立たずとはこのことですが、

もし今あなたが「やるべきか迷っていること」があるならば

「やるべきか分からなくなったらやる」

 

大抵の場合、何かをやった時の後悔よりも、やらなかった後悔の方が大きいものです。

「やってみる」という選択をする方が後々納得のいく経験になります。

これは僕の半年間のビジネス経験から紡ぎ出された結論です。

 

 

そして僕は大学生活の中で、最も大きな失敗をすることとなったのは、

遡ること8年前の就職活動。

 

 

酒やタバコ、製菓と行った嗜好品が好きという浅い理由で、

メーカーという圧倒的狭き門をくぐり抜けようとしたんですね。

 

結果はなんと全落ち。

 

僕は毎日毎日面接の合否発表の夢を見て、夢の中では受かっていたはずだった。

当時は夢と現実のギャップにめちゃくちゃ苦しんで、

落ちたことが夢なんじゃないかと錯覚する日々が続きました。

 

 

さらに僕の苦しみを加速させることになったのは、

同じ学部の友人たちの華々しい内定報告でしたね。

 

 

僕は、ある意味受験に失敗したとはいえ私大最高峰の法学部に通っていたから

周りの友人たちはいうまでもなく優秀な人が多く、

メガバン、大手保険会社、5大商社、大手証券、コンサル、デベロッパーなどに

軽々内定を決めていた一方で、僕が唯一内定をもらったのは、

学歴なんぞ関係なく入社できる、CMでよく見る某住宅メーカーのみ。

 

愕然としましたね。

 

書いてきた通りこれまでの人生でも、

自分の才能やセンスのなさに落胆したりということはありましたが、

就職活動って、結局採用される人間は人間的総合力を鑑みて、

その会社にとって存在意義があるから採用されるわけで、

逆にその会社にとって存在意義がないから、切り捨てられるわけです。

 

 

社会的に「不必要」という烙印が僕に刻み込まれたのです。

 

 

僕が某住宅メーカーに入社してから周りから馬鹿にされるまでにさほど時間はかからなく、

「何でお前みたいな学歴のやつがここきたの?w」

 

自分より学歴の低い同期たちに言われたセリフNO1がこれでしたね。

 

こう言われるたびに僕は、毎回おちゃらけた感じで

「ばーか、俺は家づくりがしたかったんだよずっと!」

 

 

心の中に一文字として該当しない台詞を毎回吐いては誤魔化して、やり過ごしていたんですが、

僕って、昔から変に負けず嫌いだし、自分を保つだけのプライドはあったから、

本当は悔しくて悔しくて仕方なかったことを、今でも思い出します。

 

 

言われるたびに、自分の拳を思いっきり握りしめて、

爪が手のひらに食い込んで流血するほどにね。

 

 

今思えば、【自分を偽ることが、自分を一番傷つけます】

 

自分を実際以上に見せたがる人がいます。

実際の自分を偽って、誇大にして、隠すのです。

そうやって毎日を生きる人がいます。

 

僕もこの頃はそうだったのですが、自分を偽るということがどういうことを意味するかというと、

『本当の自分を嫌っている』、ということです。

 

本当の自分を自分が嫌いだから、隠そうとする。

本当の自分は認められないと思うから、自分を偽る。

 

 

しかも、隠せば隠すほど、偽れば偽るほど、その行動によって「自分嫌い」が加速していきます。

 

頭が良くない自分、持てない自分、不器用な自分、貧乏である自分…そういう自分を誇大に見せようと

することによって自分が嫌いになり、

 

人生において最も重要な「自分」を失っていきますし、自信も無くなります。

「誇り」とも呼べるものが失われていきます。

 

 

そして、どんどん行動しない自分になっていく。自己主張のない自分のなっていく。

【自己卑下】からは何も生まれないのです。

 

誇大に見せる必要はないし、自分を自分で苦しめる必要はありません。

自分を苦しめるということが、一番辛いことです。

「自分を苦しめるのではなく、できない自分も認めること、許すこと」

当時の僕には、これができませんでした。

 

だから自分を偽る反面、情けない自分が憎くて、憎くて、

生きているだけで、何となく視界が暗いと感じるような感じ。

 

 

こういう精神状態だと、他人からの辛辣な一言でさえも、

普段の何倍も間に受けてしまうもので、

 

 

住宅展示場で行った接客ロールプレイングで上司に言われた言葉、

「お前、営業のセンスねえからやめちまえ」

 

今までの人生で、自分に対して自分で「センスがない、才能がない」と縛りつけては悲観してきましたが、

他人から初めて「センスがない」と言われ、

昔から心のどこかで「嘘であってほしい」と願っていたことが確信に変わり、

「プツッ」と、自分の中で糸が切れた音がしました。

 

 

幼少期のトラウマの起源が、23歳になって具現化されたんですよね。

「ああ、やっぱり俺ってそうだったんだ」って。

 

 

ちなみに僕は茨城県の牛久市という超ど田舎に配属され、

毎日飛び込み営業をノルマとして課せられていたのですが、

なんせ田舎ですから超車社会です。

 

土地があまりすぎて、スターバックスですらドライブルスルーがあるくらいなんですよ。笑

 

 

そんな中、新卒である僕は自転車で飛び込み営業をやることを命じられていたため、

1日約20キロほどは夏場の炎天下の中チャリを漕いでましたね。

※飛び込みやってて警察に通報されたこともありました。笑

 

その当時のブログ「チャリ漕ぐ営業マン」はこちら

 

そんなこんなで、自分の中で糸が切れて、

魂の抜け殻になった人間を再起させるためには、

【現実逃避】しかなく、僕の場合は

 

無い金を使って「一時的な虚空の楽しみで紛らわす」しか自分を救えなかったのです。

ここから僕の「後天的貧乏」が幕を開けることになったのです。

 

 

「金がない」、、暗い人生をどうにかしたかったのに

人間って、現実逃避が生き方のメインになってしまうと、自分でも予期しない行動をとってしまうものです。

 

僕の場合は、とにかく見境なくお金を使って欲しいものを全て手に入れる、

やりたいことを我慢せず全部やることによって、非日常を手に入れていました。

 

 

・支払えもしないローンを組んで、500万円の会社を買う(Audiを買いました)

・外車で女の子乗せてドライブデート

・アウトレットで数十万単位でクレカを使い爆買い

・毎週後輩を引き連れて旅行

・競馬で一攫千金を狙い、数十万ベット…etc

 

人は精神を病んでしまうと、依存先を見つけようとします。

 

現実逃避ができるから。

 

病んでる人ほど、何かを見ること、

何かをやることに異常にハマってしまうロジックはここにあります。

 

 

だってそれを見ている、やっている間だけは、心が救われるから。

 

生活において、時間と現実を忘れる瞬間が最も幸せなのです。

 

僕の場合は、こんなことにお金を使いまくることに依存し、

一時的な虚空の楽しみを得て、人生への充足感を補っていた感じです。

 

正直、破綻するまでには早々、時間はかからなかったですよ。

 

 

僕が買ったAudiってスポーツタイプだったので、

最高時速が260キロまで出せるんですが、

茨城県の夜の道路って全然車通りがないんですね。

 

 

僕の家の近くに全長1キロメートルのトンネルがあって、

仕事終わりにAudi乗っては、そのトンネルを時速200キロで駆け抜けるみたいな、

高速度で走って全身の身の毛がよだつほどのスリルと恐怖を味わうことが堪らなく好きだったんですね。笑

 

 

そんな走り方をするもんだから、タイヤは今までに3回バーストしたし、

極め付けは当時の会社の先輩方3人と、夜の首都高速でカーチェイス(湾岸ミッドナイトみたいなことしてました)

した際に、前を走ってた先輩がカーブを決め切れず、4台同時に衝突事故みたいな、

まるでアニメのワンシーンみたいなシチュエーションが発生し、

無事僕の車は多額のローンだけを残したまま故障することになったのです。

 

 

いつの間にか僕の手持ちのお金はほぼ0に近づき、

車のローンも入れて600万ほどの借金を背負う形になっていました。

 

 

当然ながらクレカの支払いも滞納することになり、クレカは停止。

ということは勿論、車のローンも支払えず弁護士事務所からの催告書が届くようになりました。

 

 

ここまで追い詰められた人間って、今度消費者金融に手を出し始めるんですよね。笑

 

 

毎月のクレカの支払い分や、車のローンへの支払いを消費者金融から引っ張ってきて、

会社の給料が入ったらすぐ消費者金融に返済という生活を送っていたのですが、

僕が利用していたプロミスなんかは、カードをATMに通すだけで、

コンビニでもお金をいつでも借りられるので、

いつしか当時の彼女とのデート台は全て消費者金融から引っ張ってきてたんです。

 

 

そうするとプロミスの借入限度額にあっという間に達して、

さらに僕は手持ちのお金がないので、また別の消費者金融から

お金を借りてプロミスの支払いに充てるという無限ループにハマっていったわけです。

 

 

そして僕に一時のユートピアを与えてくれた「現実逃避」が遂に終焉の鐘を鳴らし始めたのです。

 

 

僕がこんなちゃらんぽらんなもんだから、当時付き合っていた彼女に(高校時代とは別の子)

「結婚について真剣に考えてくれてるの」とすごく真剣に問い詰められたことがありました。

 

 

彼女は当時26歳で、周囲の友人たちが結婚ラッシュを迎え焦りを感じているようでしたが、

僕にとってはこんなちゃらんぽらんな僕を支えてくれたような子だったので、

もちろん、結婚はしたいなと考えていました。

 

 

「じゃあ次のデートまでに、結婚までのプランを持ってくるよ」

そう彼女に言って、結婚式にかかる費用だとか、指輪代とか、新婚生活を始めるための費用とか、

じゃあいついつまでにいくら貯金してなきゃいけないとか、

全部リサーチして、「28歳までに結婚をするプラン」を作り上げ、彼女にプレゼンしたわけです。

(確か場所は、千葉のスターバックスでした)

 

 

彼女は僕のプレゼンを泣きながら、喜んで聞いてくれました。

ですが、彼女もそこで気づくのです、「なんで僕にこんなお金がないのか」ということに。

僕って良くも悪くも嘘がつけない正直者で、それが災いしました。

 

 

多額の借金があること、現在もその返済に追われていることを正直に話してしまったのです。

それでも僕は、「じゃあ一緒に貯金頑張っていこう」という温かい言葉をどこか期待してたのだと思います。

 

しかし、彼女の温かみのある優しかった表情が、氷点下まで達するのに時間はかかりませんでした。

 

そうして閉ざしていた口を開いて放った言葉は僕を見事に一刀両断するものでした。

 

「そこまでお金がないならこの先は考えられない。別れましょう」

 

空いた口が塞がらないとはまさにこのことで、彼女は瞬く間に僕の前から姿を消しました。

「信頼を取り戻すのは一瞬、取り戻すのは一生」という言葉があります。

 

でも一瞬のうちに信頼を失ったという前提の場合、その後に示された「誠意」は

必ずしも信用されないですし、評価対象にはなりません。

 

 

「言動などきちんとして相手に接しても」接すること自体が不可能になっていることもあります。

 

状況によっては一生では済まないのです、「永久にとり戻せない」ことだってあるのです。

 

僕の弁解も虚しく、彼女が僕とコンタクトを取ること、そして僕の前に姿を現すことは2度となかったのです。

 

しかし、僕は彼女のことを諦め切れず、なんとか自力でお金を稼ぐ方法を模索し始めました。

 

今思い返せば、これが会社に依存せず「個の力で稼ぐ」ことの原点です。

 

ただ、知識がない、情報がない者はいつの時代も搾取し続けられます。

そこから更に僕が堕ちていくのに時間はかかりませんでした。

 

先輩の知り合いから「バイナリーオプション」を紹介され、

さらにこのツール通り、ベットすれば絶対に稼げるからといううまい口車に乗せられ、

20万円を支払いツールを購入するも全く稼げず、またもや数十万単位のお金を失いました。

 

 

更にはある日渋谷のクラブで出会った同い年くらいの男の子からネットワークビジネスを進められ、

蓋を開けてみるとマルチ商法の代表格の某サービスだったのですが、

そこでも僕はうまい具合に洗脳され、完璧なカモに仕上げられたのです。

 

 

グループで利益を上げていこうという意思のもと、

会員一人ひとりにノルマが課せられるのですが、

そのノルマは、最低毎月20万円。

 

 

僕自身の自腹を切ってノルマを達成するということを避けるために、

自分の友人たちにも会員になることを勧め、商品を購入するよう誘導しましたが、

変わり果てた僕の姿を見て、友人たちは僕との縁を切り僕の前から立ち去っていきました。

 

 

結局僕は最終的に、多額のお金どころか、

お金で買うことのできないかけがえのない友人たちをも失うことになったのです。

 

 

この時期に、なんか、人としての最低限の尊厳も失った生活もした記憶があります。

ガス代、電気代が何ヶ月も払えていなかったせいか、

暗い部屋の闇をアイフォンのライトで灯したり、

真冬にもかかわらず、冷水だけでシャワーを浴びたりもしました。

 

 

自宅のポストを開けると、カード会社からの支払い通告書、

消費者金融からの支払い通告書で溢れかえっていたし、車のローンの支払いに至っては、

弁護士からの催告書もスルーしていたせいか、遂には裁判所への出頭要請の書類も届きました。

 

これを見た時には一気に現実に引き戻され、強い眩暈と吐き気を催したことを今でも覚えています。

 

 

静かにベッドに入って、目を瞑って、夜が来るとものすごい不安が押し寄せてきて、

怖くなって忘れるために眠っているようなものでした。

 

 

多分今振り返ると、借金が返済できる未来がみえない状況下の中、

誰とも繋がっていなくて孤独だったこと、それが本当に辛くて地獄だったんです。

 

こういう時って、簡単に死神に取り憑かれてしまうものです。

 

一人で生活する支払い能力を失ってしまったので、

実家へ向かう帰路で起きた出来事だったのですが、

国道6号線という、東京都から千葉、茨城、福島を経由し宮城まで通じる道路を

Audiで走行しているときに「それ」は起きました。

 

 

深夜の国道ということで、車通りはほぼない中、

あろうことに僕はアクセルペダルを完全無意識に踏み続け、

その時速は170キロまで到達し、死神が取り憑いた僕の車は

異常とも言えるスピードで、まるでそのまま地獄へ向かうかのような勢いで、走っていたのです。

 

 

この時僕の車はさぞかし、邪悪なオーラを放っていたことでしょう。

 

(多分こんな感じ)

 

150メートルほど前方に右折しようとしている車がうっすらと視界に入りました。

その時思ったのです。

 

 

「このままこの勢いで正面衝突すれば、僕は一瞬で地獄に落ちることができるだろう」と。

もう人生に悩むことなく、瞬く間にラクになれるんじゃなかろうかと。

 

 

その車の目の前まで迫るには、170キロのスピードを出しているものですからものの一瞬。

これは死と隣り合わせになって初めてわかったのですが、死を迎える瞬間って

本当に時間がゆっくり流れるのです、

 

 

様々の人生における記憶や思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡ったのですが、

頭の中によぎる記憶は最後まで、僕が今まで中学、大学受験や就職活動に失敗し、

才能がない自分へ悲観し続ける、自分の姿だったんですよね。

 

 

死が差し迫ったときにでも、想起されたのはこれまでの楽しい思い出は一切なく、

自分の過去から現在までに至る情けない姿。

 

 

その時、頭に浮かんだ疑問が、僕の心をわずかに燃やしたのです。

「このまま負け犬のままで人生終わっていいのか?」

「死んだ後も絶対後悔することにならないか?」

「死んでも、死にきれなく無いか?」

 

 

一瞬よぎったそんな想いが僕の目を覚まさせ、後数センチで右折車にぶつかるところで

咄嗟の判断で急ブレーキをかけながら、ハンドルを思いっきり左に切り、

ガードレールに直撃するだけで、ことなきを得ることができたのです。

 

 

今思えば、全く知らない一般の方を巻き込むなんて、死神しかできません。

極度に高まる心拍数、そして死に直面した恐怖から過呼吸になりながらも、

 

 

後悔、懺悔、怒り、罪悪感、恥、自分への嫌悪、諦めることへの恐怖、、、

いろんな感情がよぎって、よぎって、辛いけど、向き合って、

その先で僕はパチっとスイッチが入り、

 

 

「もう一度頑張って、ダメだったらピリオドを打とう」

 

 

これが、僕が人生で最後と、再起を誓った瞬間。

【絶対に成功するまで諦めない覚悟】が決まりました。

 

 

結局僕って逃げていただけだったんですよね、

「なんとかなるだろう、いつか変われるだろう。」

そんな散漫で曖昧でウダウダした感情だったのが、生死の境目を彷徨ったことによって、

一気に腹がきまったんです。

 

 

嘆くだけも後悔するだけでも人生が変わることなんてなく、深く、深く心の奥底をえぐるようなエゲツない深い後悔と内省の先に成功はあるし、

 

その深い後悔と内省をしたうえで現実に立ち向かい勝ち抜くための武器を手にする必要もあるのです。

 

車についた擦り傷みたいな傷を気にして小さく生きていくのか、

遠くまで進んでいく活力に変えていくのか?

それはあなた次第、

自分の心次第ですよ。

 

日本人の多くの人は真剣さがありません。

なぜなら真剣にならなくてもなんとなく流されて生きていけるシステムを日本が構築しているから。

そうすると、

真剣に生きる
お金を向き合う
本当に苦しむ
本音と向き合う

みたいな苦しい、辛い行為を避けて生きていってしまいます。

 

平均点の人生で満足ならそれでもいいけど、

このブログを読んでる人は絶対にそうではないでしょう?

 

辛いからこそ、向き合うのです。

その先に、幸福や光があります。

 

 

【恥ずかしい暴露話】僕のビジネスの原点は何と言っても「エロ」

こっからビジネスの話が多くなります!

 

とはいえ、こんなことをぶっちゃけてしまうと、

皆さんに一気に引かれてしまいそうですが、あえて言います。

 

正直僕は「エロ」がとても、とても好きです。

 

 

もちろん男に性を受けた限り、本能的にエロは皆須く好きだと思うのですが、

僕のエロの起源を辿ってみると、

 

・4歳の時に父親の部屋でAV見つけて、初めて試聴する

・幼稚園の時に女子トイレのぞく

・高1の研修旅行で、露天風呂から女子覗く(※あんまり見えなかった)

・高2の勉強合宿なるもので、高1の時の反省を活かし、双眼鏡を持参して

 部屋の窓から壁をつたって、女子の露天風呂が見えるポイントまで移動して覗き(※今度はよく見えた)

 

若干いきすぎてる感(笑)はありますが、他と比べて少しませていた少年とお考えください。

 

 

自分がパートナーがいないフリーなサラリーマン時代は、本業中にマッチングアプリ「Tinder」で右スワイプしまくり、

「週に3人は新規を抱く」という目標を立てて真剣に取り組んでいましたね。笑

 

でも目標って、本来こうあるべきじゃないですか?

 

「やらなきゃいけない」「達成しないとやばい」と他から与えられた目標だと、

目標自体に自分の行動が支配されて、それがストレスになったり酷ければ鬱になる。

(社会人あるあるですよね)

 

でも自分が達成したいと願って立てた目標だと、目標を達成するために、

「あれもやりたい」「これもやりたい」といったように、

意識も行動も全て自然と前向きになるんですよね。

 

いわゆる「ToDo」を

「やらなければならないこと」「やらされていること」と感じるとそこには必ずストレスが生じて

「結果を良くするために自分がやりたいこと」になると、そこには一切ストレスが介入しないのです。

 

関係ないですが、我々は、本来「ToDo」を前向きに捉えられる仕事をするべきなんですよね。

 

すごいお恥ずかしながら、マッチングアプリと待ち合わせた子にその場で逃げられた経験があります。

 

でも僕はそれがめちゃくちゃ悔しくて、湘南美容外科で目を30万円かけて整形しましたよ。

この整形が善か悪かはさておき、自分が熱量を持って取り組んでいることに対してなら

糸目をつけず投資をすることができるし、投資した分、熱量を持って行動することができます。

 

 

これはビジネスでも同じなんですよね、熱量を持って自己投資をすると、

熱量が入ってる分、行動量も多くなるし、そうなると必然的に成果も出やすくなる。

 

あなたの自己投資に熱量は入っていますか?

 

 

自己投資すること自体に満足するだけで、自己投資に慣れは生じていないですか?

 

【僕が一括で300万円自己投資したエピソード】はこちら

 

 

とと、話が逸れました。戻しますね。

 

 

死を体感して、僕の人生を賭けたビジネスライフの幕開けとなったわけですが、

 

ここまで話してきた通り、才能もセンスも、ビジネススキルも何もない僕は、

金を稼ぐ手段が何も思いつかなかったけど、唯一なんかできそうなのは「エロ」だったんですよね。

 

 

エロって人がこの世に存在する限り老若男女、未来永劫ニーズがありますし、

人間の3大欲求として、食欲、睡眠欲、性欲があるのはご存知だと思うのですが、

性欲って人間の欲求の中で、一番コントロールが難しいのです。

 

 

だから特に男性は「見たい!」とか「やりたい!」と思ったら歯止めが効かなくなるわけで、

性的欲求に訴えかけられると、性産業には衝動的にお金を投じてしまうものです。

 

 

僕はそこで思ったのです、

 

じゃあTwitterを使って、「見たい!」と思われるようなコンテンツを集め、

「見たい!」と思わせるようなコンテンツの見せ方と、

「見たい!」と思ってくれる人々を集めれば、それってお金になるんじゃね?!と。

 

 

結局ビジネスでモノを買ってもらいたいなら、人間の根源欲求に訴えかけるのが一番早いですし、

僕が今のコンテンツビジネスで、商品をリリースするときに異様に成約率が高いのは、

こういうエロのジャンルから欲求喚起の方法を学び取ってきたからというルーツがあったりします。

 

 

最初はアプリアフィリエイトから始めました、

いわば、第三者にマッチングアプリやライブチャットアプリをダウンロードさせると、

1件当たり300円~400円程度収益が入るというものですね。

 

 

「アフィリエイト」なので本来ならTwitterにブログを載せて、そこからブログ記事に誘導し、

記事を読ませてダウンロードしてもらう、といったような方法が正攻法なんでしょうが、

 

ビジネススキル皆無の僕は超原始的なやり方で、

「この子の動画の続き見たいならRTしてDMしてください」みたいなツイートして、

DMに集まってきた人に「今日中にアプリダウンロードしたら、即動画あげます」

みたいなメッセージを送って、ダウンロードさせていましたね。笑

 

 

一見やってることはすっごくアホなんですが、こういう経験からも、

無料企画のやり方や、お客に動いてもらうために限定性をつけなきゃいけない、

みたいなことも学んでいきました。

 

 

こんな地道な作業を繰り返してるうちに、なんと1ヶ月で10万円ほど稼ぐことができ、

泣くほど嬉しかったのを覚えています。

 

 

しかし、うまくいく時間は長続きしないもの、

アプリアフィリエイトの行い方に運営会社から指摘が入り、

案件が停止してしまったのです。

 

 

じゃあ自分でサービス立ち上げちゃえばいいじゃん!ってことで、

 

今度は月額980円のサブスクサービスを立ち上げ、

内容は僕がツイートしている女の子の「その先の姿(笑)」が見たい人は、

このサブスクサイトで見れますよと。

 

 

結局男性のニーズを考えたときに、毎日自慰行為はしたいのだけれども、

アテを探すのが面倒だし、仕事終わるのが遅いとそういう探している時間が

睡眠時間を削ることになるので、じゃあ厳選された「アテ」が揃ったサブスクサイトって

めちゃくちゃニーズあるんじゃね?と思って立ち上げたわけです。

 

 

しかもDMM(現FANZA)で一本AVを買うと980円以上はしますから、

時間的コストに加えて、金銭的コストも抑えられるぞ、というコンセプトで打ち出したわけです。

 

 

ちなみに僕らが今やっているコンテンツビジネスでも上記のような「建前」と「本音」を

つかむことってめちゃくちゃ重要で、「本音」のその先にお客さんが気づいていない

「潜在的需要」があるわけで、潜在的需要を掘り起こすことができれば、

ビジネスはめちゃくちゃ儲かります。※これは覚えておきましょう。

 

 

このサブスクビジネスで、3ヶ月後には月30万円の不労所得が出来上がったのです。

すんなり書いてますが、睡眠時間を削って作業してたので、胃腸炎にも2回かかったし、

でも病院に行くお金もないから、胃は痛むけどベッド上でもひたすら作業をしてました。

 

 

覚悟したから。

やるしかないから。

これが「生きる」ということ。

 

 

僕は生を実感しながら、とにかく手を動かして、実際の利益で言えば決して大きなものではないですが、

腹が決まったら本当に結果が伸びました。

 

 

本当に結果が出せるか否かって「熱量ある行動ができるか否か」ですよ。

 

 

ここまでくると「もっと効率よく稼ぐ方法はないか」と考え始めたときに、

「稼ぐノウハウを教える教材を作る」というまさに今のコンテンツビジネスの発想に至ったのです。

 

 

ちなみにこの情報コンテンツを作るときに、稼いだ売上金を教材に突っ込んで、

僕はめちゃくちゃコピーライティングの勉強したり、心理学の勉強をしたりして、

人を集める方法、欲求喚起する方法、お客に買ってもらう方法、などの知識をつけていきました。

 

 

ここ重要ですが、人間の心理や根源欲求は不変なので、

どんなジャンルであれいわゆる原理原則を学べんでおけば活かせますし、

僕が教えてるところってこういうところです。

 

 

「稼いだお金を借金に充てる」という発想には、この段階では至りませんでした。

 

 

だって熱量ある投資をすれば、必ず成果がついてくるはずだから。

 

それがわかっていたので、あえてリスクをとる選択をしていました。

 

そして、リスクを取る代わりに、プライベートで遊ぶ時間や娯楽の時間というものは

須く捨ててきました。

 

 

「進撃の巨人」という漫画の中でアルミンというキャラクターがこういうセリフを言うシーンがあります。

 

 

「何かを変えることのできる人間がいるとすれば、その人はきっと、大事なものを捨てることができる人だ」

 

 

自分の無力さに病み、ストレスフルな僕にとって

現実世界から目を背けることができる、遊びや娯楽はとても大事な時間でしたが、

その当時はそれすらも捨てていました。

 

 

この記事を読んでいる方で、現状くすぶっていて、自分を変えたいと思う人は、たくさんいるでしょう。

 

 

「何も捨てることができない人には、何も変えることができない。」

 

 

そういう人こそ、この言葉を肝に銘じておくべきです。

 

 

ジャンルは「エロ」でしたが、これまで自分がやって来たノウハウを

まとめた情報コンテンツを売り始め4ヶ月、ついに月収100万円の壁を突破することができたのです。

 

 

Twitterで「エロ」を題材にしたビジネスを開始して、約8ヶ月かかりました。

 

今の時代、正直センスのある人だったら0からでも、2~3ヶ月で月収100万円くらいは行ってしまうので、スピード的に決して早いわけではなかったのですが、

 

これまでにないくらいの達成感と充実感を得た経験は一生忘れることはないでしょう。

 

 

そこからさらにジャンルを広げ「マッチングアプリの攻略法」であったり、

「メンズ向けの美容やメイク」などをコンテンツにして収益を伸ばしていきました。

 

 

しかしやはり現実は甘くなく、僕にまたもや悲劇が襲いかかります。

 

「Twitter全所有アカウントの凍結」です。

 

 

まあ「エロ」を噛ませたアカウントなので、凍結のリスクには細心の注意を払っていたのですが、

まさか所有しているアカウント全て凍結は完全に予想外、運営側にも異議を述べましたが、

覆ることはなく、僕の副収入は一瞬で「ゼロ」になったのです。

 

 

でも、逆になんとなく「スッキリ」していたのを覚えています。

 

 

この頃から薄らと「個の力で稼いでいく」ということが視野に入り始めていたのですが、

親や彼女、友人、そして彼女と結婚したときに親御さんに自分の職業を伝えるシーンを

想定したときに、

 

あくまで僕の価値観では、

「エロ」で稼いでいるということは胸を張って言えないなと感じていたわけです。

※繰り返しますが、あくまで僕の価値観です。

 

ならば、真っ当なビジネス系の情報発信で稼いでいこうと決意し、

Twitterのコンテンツビジネス界隈を時間をかけて徹底リサーチし、

飽きることなく知識へ投資した末に生まれたのが

「おりゅう」というアカウントなのです。

 

 

どうでしょうか?

僕の格好の赤裸々体験も含め、

こんなに事細かに皆さんにお伝えしたのは初めてです。

 

 

もっと最初から上手くいってたと、

今のおりゅうというアカウントだけ見ると思う人もいるかもしれません。

 

でも、僕の現実はこんな感じ。

 

本当に0から、

そして人間らしいダメな感情と
向き合って戦いながら今まできました。

 

そんな僕だから、お客さんと話すときに

力強く可能性を肯定できるんだなと心から感じます。

 

 

特に稼ぎたいという意思の強い方のご相談には、

つい熱を入れて答えてしまいます。

 

ちょっと余談ですが、

回り道とか寄り道とか余計な苦労はする必要はないんだけれども、

それによってしか得られないものもあります。

 

今の僕のことを良いと思ってくれている方がいるならば、

その僕のパーソナリティはこのうだうだした期間に培われたものですよ。

 

 

そういう人生の一見すると意味がない経験も、

考え方、心の持ち用でより多くの人を救えるピースになっていくので、

皆さんも是非振り返ってみてくださいネ。

 

 

僕の決意とか今後のビジョン

 

冒頭でもお話しましたが、彗星の如く皆さんの前に現れた「おりゅう」は、

皆さんのご支持もあって5ヶ月で2,000万円ほど収益化できました。

 

 

僕が実際にこの実績を出してみて、すごくすごく大きな変化があって、

それは自分の事を「センスがない、才能がないからできないやつなんだ」と悲観しなくなったこと。

 

 

勿論ビジネスパーソンとしての力とか、人間性を加味した総合力でなく、

あくまで「数字」上だけなんだけど、

自分よりセンスや才能があって最高峰の企業に就いた周囲の人間や友人たちと比較した時に

勝ることができたという揺るぎない事実のおかげで、

僕は28年間抱え続けたコンプレックスからようやく解放されることができた。

 

 

世間一般の評価の物差しとして「収入」という概念は切っても切り離せないものだから、

自信を持ってもいいと、確信しています。

 

そして、長年のコンプレックスから解放されて気づいたことがあるんです。

 

 

確かに僕は、才能やセンスとか、突出した思考力はなかったんだけれども、

僕の失敗談としてあげた、中学・大学受験でも、就活でも、

目標を決めるときにいつも曖昧な動機だった、

なんというか、

心から燃えたぎるような、意地でも本気になれるような目標や本気の動機が定められていなかったと思うのです。

 

 

曖昧で、なんとなくの動機だから、

自分が取るべき行動も曖昧になって、失敗する。

 

 

そして当然のごとく失敗するから、才能やセンスがないと、

僕は思い込んで悲観していただけだったのかもしれません。

 

 

生物の中でも圧倒的に感受性が高い僕たちは人間は、

自らの思い込みによって行動が縛られがちですが、

 

 

いかにうまく自分の中からバイアスを取り除いて、

ミスリードを防ぐかが重要なのです。

 

 

才能がないから、センスがないから出来ないのではなく、

僕が幼少期から学生時代まで強く思い込みをしてたから、

今までの人生をミスリードしてしまっただけで、

 

 

実際に僕は死を覚悟して、心を燃やして絶対に成功してやるという強い意思があったから

行動にも必然的に熱量が入って、成果を出せた。

 

 

ただそれだけのことなのです。

 

 

僕は今、自分に突出した才能やセンスはなくとも、

自分自身の事を「できないやつ」とは思っていません。

 

というより、そう思わなくなりました。

 

 

自分が変われば、思考が変わり、「思考」が変われば、「見える世界」が変わり、「行動」が変わる。

だから僕には今年になって、あるビジョンが降って来たのです。

 

それは、

 

 

【出来るアイツと出来ないワタシの境界線を無に】

 

 

これは、

 

「僕のこれまでの人生感から紡ぎ出された自分の想い」

           ×

「自分の周囲にいる人々をどういう姿に変化させたいか」

 

を考えたときに降って来たビジョンです。

 

 

「アイツができて、なんでワタシができないの…?」

「ワタシなんかが、アノ人に及ぶことなんて…」

「ワタシなんかが、あのヒトみたいに稼げるようになるなんて…」

 

 

自分の思い込みやバイアスに囚われて、苦しんでいたり悲観していたり、

思うようにパフォーマンスを発揮できてない方って世の中に本当に沢山いると思うのです。

 

 

だから僕は自分の周りにある小さな世界から、

思い込みを理由に制限されたり悲観したりすることが無い世界を作りたいのです。

 

 

世界を動かすための「お金」という側面で、いわゆる金銭的に幸福になれると言われている年収1000万円にいくには、

年々ユーザーが増え続けて市場が広がっているインターネット上でのコンテンツ販売が早いので教えてますし、

情報発信は自己表現という側面も強く持っているので、

僕としては哲学を守りながら世界に影響を与えられるのですごく好きなんですよ。

 

 

でも情報発信で稼ぐとか、金銭的に自由になる方法とかそんな浅いところではなく、

僕は人生をいう大きな視点で見て、他人の思考に影響を与えていきたい。

 

 

そして僕のこのビジョンを、多くの人に達成してほしいのです。

 

 

これをするためにはそういう機械的なやり方ではなく、

血が通った僕の哲学も伝わって、僕とアナタが双方で

満足できる形を目指す必要があると思うのです。

 

 

だから僕は、2021年12月末で会社員を辞め、起業を決意しました。

 

 

「自分」が変われば、「思考」が変わり、

「思考」が変われば、「見える世界」が変わり、「行動」が変わる。

 

 

僕は情報発信を通じて自分が変われたからこそ、起業という道を迷いなく選択できた。

会社ではそこそこのポジションにいたので、年収1,000万という安寧を捨ててきましたが、

この選択に寸分の悔いも未練もありません。

 

 

それくらい、僕に降ってきたビジョンは僕にとって大きいモノなのです。

 

 

世界はアナタの意思で動きます。

 

本気で生きることは怖いこと。

 

そこから逃げて虚像に生きればあなたの世界は虚像にまみれていきます。

 

アナタはどうなりたいですか?

 

現実から逃げ薄っぺらい人生にするのか

安定にしがみついてその他マジョリティと同じ人生にするのか

ずっと苦痛だらけの茨の道を歩くかのような人生にするのか

自分を変えたいと願い、努力を積み上げてマイノリティな人生にするのか

 

 

成功の人生か、失敗の人生かを決める。

全てを決めるのはアナタ次第なのです。

 

 

人は死ぬ間際になって、初めて自分が何者であったかを知ると言いますが、

自分が「何者であったか」、最期の死に際に認識したときに、

後悔するような人生にだけはしたくないのです。

 

 

だから僕は、これからも、

価値観を壊し続ける。

世界を枠を広げ続けていく。

そういう選択をしただけです。

 

 

これが僕の、根幹の部分でもあります。

人生は選択と集中です、

時間もリソースも限られているので、

アナタ自身で必ず選択する必要がある事を覚えておいてください。

 

 

そして、近い将来の目標として、メンズ美容グループを立ち上げて、

「世の中の男性の世界観をいい意味でぶち壊して新世界を魅せていきたい」

という想いというか野望に近いものがあります。

 

 

今僕がやっている情報起業は究極のニッチビジネスだとも言えると思うんです、

だって日本という市場の1%のパイの奪い合いをひたすらしていて、

それだと残りの99%にアクセスできないんですよ。

 

 

僕は自分の周りの人々の世界を変えることができたなら、

きっと世界を動かす範囲をもっと広くしたくなると思うのです。

 

当初は僕自身も情報発信で稼いで、

家でダラダラして旅行して好きなものを買っていい女抱いてみたいな、

時間とお金に縛られない生活したいなと思っていたのですが、

やっぱり僕にビジョンが降ってきてからは

それって「暇」に捉われためちゃくちゃつまらない人生になるんじゃないか?

と思ったわけです。

 

口癖が「いやー今日も暇だなー」っていう大人楽しいですかね?

 

ぼくは嫌です。

カッコつけなんでカッコよくいたいんです笑

 

僕が世界を動かしていく背中もぜひ見ておいて欲しいし、

事業家としてもロードマップも皆さんに示していければなと思っています。

 

 

あと最後に!

 

僕は、世の中に、社会に、そしてアナタに、

「本気の自分を笑うなよ」と伝えたいです。

 

 

何が言いたいかっていうと、「自分を裏切るなよ」ってこと

 

 

もし、アナタの努力や本気が周囲に気付かれなくても、笑われても、自分はアナタの本気を見ている。

 

自分との信頼関係が築けている人ほど成功していて、

自分との信頼関係が破綻している人ほど失敗する。

 

 

自分が「できる」と思い込むか、「できない」と思い込むかは、

どれだけ自分を裏切らないか、が鍵となると思います。

 

 

だから僕は、本気の自分を笑わないで頑張り続けよう、と自分に言い聞かせているのです。

 

 

自分との約束を守ることが、とても大事なことだと思いますよ。

 

以上!

 

お読みいただきありがとうございました。

 

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