【ファンがいかに重要か分かる実話】~僕はチャリ漕ぐ営業マン~

ビジネス

これは僕が戸建住宅の営業マンだった頃のノンフィクションドラマ

おりゅうです。

僕が独立する前ECコンサルタントであったことはお話ししましたが、

実は新卒では某住宅メーカーの営業として入社しました。

その当時、実体験したことをお話するのですが、

「ファンがいかに重要か分かる実話」となっています。

今コンテンツ販売されている方や、これからコンテンツを販売される方、

これを読めばファンの重要性が身に染みてわかると思います。

僕は新卒住宅営業マンだった頃、こんな激動の生活を送っていました。

✅真夏の田舎で毎日チャリ20キロこいで飛び込み訪問100件

✅汗くせえと言われ毎日ワイシャツ2枚持って出社

✅飛び込みしてただけなのに警察に通報

 

それでは以下よりお楽しみください。

『~僕はチャリ漕ぐ営業マン~』

僕は毎日【バカ】にされてきた。

「なんでおまえみたいな高学歴がここに来たの?笑」

「お前の接客ホストみたいだね。笑」

「ちょっと汗臭いねあんた。」

「おまえみたいなのが一番うっとおしい」

 

遡ること約7年前、僕は就活で大失敗した。

酒やたばこ、嗜好品が好きという理由でメーカーという圧倒的狭き門を突破しようとしていた。

結果は全落ち。

毎日毎日就活の合否の夢を見ていた、夢の中では受かっていたはずだった。

夢と現実のギャップに当時はめちゃくちゃ苦しんだ。
落ちたことが夢なのではないかと錯覚した。

その苦しみを加速させたのは、周りの友人たちの華々しい内定報告。

僕は私大最高峰大学の法学部に通っていたから周りの友人たちは優秀で、
メガバン、大手保険会社、5代総合商社、大手証券会社、外コンに
軽々と内定を決めていた。

そんな自分が就職したのはCMでよく見る某住宅メーカー。

なんとなくいった夏のインターンのおかげで、その住宅メーカーになんとか就職できた。

「住宅メーカー」ときけば、「ブラック企業」というワードが皆の中にも思い浮かぶであろう。

その通りだ、住宅メーカーは営業だけでも何百人と採用し、
できるだけ多くの兵隊を育成するのだ。
やめられても、家を売る人数が減らないようにね。

その兵隊の一人として入社して、地獄の日々が幕を開ける。

まず忘れもしない新人研修。

あまり声を大にして言えないのだが、多くの兵隊を集めるのに、
さほど学歴は関係ないようだった。

俗に言う、Fランやそれ以下の人たちと同期になることになる。

「なんでおまえみたいなやつがここに来たの?笑」

これ、同期から言われたセリフ№1だった。
まわりを見渡してみると、僕より学歴の高い人はいなかったな。

「ばーか、家づくりの仕事に携わりたかったんだよずっと!」

心の中に一文字として該当しないセリフを毎回はいていた。

毎回おちゃらけた感じでごまかしてやり過ごしていたが、
本心は悔しくて悔しくてたまらなかった。

そのたびに、こぶしを思いっきり握りしめた、爪が手に手のひらに食い込み流血するほどに。
心の中では、悔し泣きしまくってた。

なんでここに来てしまったのか、自分に一番問いただしてえよ、
ってずっと思ってた。

まわりからバカにされ、やりたくもない仕事のために
朝起きて出社する日々。

まさに人生のどん底とはこのこと。
情けない自分が憎くて憎くて、
生きているだけで、なんとなく視界が暗いと感じるほどにはどん底だった。

だから自分自身に復讐することにした。

全く行きたくないもところへ、後先何も考えずに就職した自分への仕打ち。

【同期数百名の中から選ばれるたった1席の王座・新人賞】

ここに着席することに決めた。

バカにした同期を見返してやるなんていう、あまっちょろい感情ではない。

そんなことはもはやどうでもよく、過去の自分自身への復讐だけを考えることにした。

 

住宅メーカーの営業は、住宅展示場内にオフィスを構え、
展示場に来店されたお客様を接客し、アポを取り、提案を重ね、
契約締結することがミッションだった。

僕は配属された夏の6月、展示場で接客はさせてもらえなかった。

 

「お前の接客ホストみたいだね。笑」

展示場で行ったロールプレイングで、店長にそういわれた。

手振り身振りがまるでホスト。笑 だと。

そんな風になっている自覚はなったが
「ああ、こいつからバカにしてんなあ」ということはわかった。

悔しい、腸が煮えくりかえる思いだ。

展示場で接客させてもらえない僕は何をさせられるか?

地獄の「飛び込み」営業だ。

ところで、僕が入社した住宅メーカーは

「新人は一棟契約を取るまで、自転車で営業せよ」という
ブラック企業ならではの、全く意味のわからない風習があった。

それだけ聞くと「ふーん」という感じなのだが、
僕が配属された勤務地は茨城県の牛久市。

知る人ぞしる、ド田舎エリアだ。
牛久大仏があるところだが、皆さんはご存じだろうか?

そんなド田舎ならではの、THE・車社会。
車がないとどこにも行けないほど、家から店舗の距離がある。
田舎は土地があまっているから、スタバですらドライブスルーがある。
都内じゃ絶対見れない光景だ。笑

 

そんなクソド田舎で、かつ夏場の炎天下の中、
自転車こいで飛び込み営業とは、まあきつい。

 

あと、自転車はなぜか自腹で買わされた。

マットブラック色の自転車を買った。

外車のメルセデス・ベンツっぽかったから
「メルセデス」と勝手に愛称をつけて、勝手に相棒にした。

店長が決めた、僕とメルセデスとの行先は想像を絶するものだった。

「展示場から10キロ離れた建て替えエリアで、毎日飛び込み100件ね?」

「は?」

としか思えなかった。

本気で言っているのか、バカにされているのか、はたまた試されているのか。
どれが正しいのかはわからなかったが、

「こいつはどうせできないだろう」

と思われていることは間違いなく、
それがまたバカにされている感じがして、

「てめえ!!」

と店長の胸倉をつかんでぶん殴ってやりたかったが、
そんな気持ちを押し殺し、僕が吐いたセリフは、

「、、、はい。」

その日からメルセデスとの、毎日往復20キロの、もはやトライアスロンと言える日々が始まった。

ちなみに建て替えエリアとは、
「古い一軒家が立ち並び、新築へ建て替えの可能性がある見込み客が住んでいるエリア」のことだ。

お察しのとおり、建て替えエリアにつく頃には夏場の炎天下が災いし、汗だくなのである。

そんな中インターフォンを押し、出てきてくれた方へ、

「このあたりの担当になりました」と汗だくになりながら、
まったく意味のわからないことをのたまって、名刺を渡す。

住民の方も今思えば「はあ?」って感じでかなり不振がってたと思う。

でも飛び込みしたところで、この当時の僕は何を話せばいいかわからず
「このあたりの担当になりました」と言う他なかった。

でも悔しいから飛び込みもアホみたいにやった。

でもこの時僕は本当に馬鹿だった。

ただ、がむしゃらに行動しても当然成果は出ない。

どういうところに飛び込みするか、どういう話をするか。

何者かもわからないやつからいきなり家を買う話なんて聞くわけが無いと。

当時は、モノを買ってもらう時の原理原則を理解していなかったのだ。

 

そんな行動が災いし、ある日とある一軒家のインターフォンを押したところ、
住民の爺さんが家に帰ってきたところにちょうど鉢合わせた。

汗だくのスーツの男が家の前で何かしているのだから、不審がられて当然。

結果的に、爺さんにバチ切れされた挙句、警察を呼ばれる始末。

警察に弁解するも、自分のやってることの意味の無さを痛感せざるを得ず、
自分があまりにも情けなくて、涙が止まらなかったのを今でもよく覚えている。

往復20キロもチャリ飛ばしてきてんのに、
時に対面した際に「汗臭い」と婆さんに門前ばらいされ、
「お前みたいなのが一番鬱陶しいんだよ」とおっさんに罵られ、
爺さんには不審者扱いされ、警察に通報された。

「俺が一体何をしたというのだ」と。

あふれ出る涙をついに否定することが出来なかった。
バカにされ悔しいことがあっても涙だけはこぼさないように
上を向いていたのに、ついに僕は下を向いてしまった。

悔しさ<悲しさになった瞬間だった。

 

警察には釈放されて事なきを得たが、
この帰り道、僕は人生を変えるきっかけとなる事件が起こる。

 

泣く泣く展示場へ戻る帰路のなか、僕の目に偶然とまった一軒家があった。

家の土台部分(基礎)をみれば、うちのメーカーが建てたものかどうかはわかる。

年季はだいぶ入ってそうだが、間違いなく自社のモノだと確信した。

「オーナー様なら自分を歓迎してくれるかもしれない」

「オーナー様ならあわよくば自分の話を聞いてくれるかもしれない」

「オーナー様なら、家の建て替え契約してくれるかもしれない」

淡い期待を込めて、その日最後のインターフォンを押した。

そんな期待はものの一瞬で崩れ去るとは知らずに。

 

ドアがゆっくりと開き、1人暮らしのおばあさんが出てきた(以下佐々木さんと呼ぶ)

どこか暗そうな表情をしていて手ごたえはなかったが、いつも通りのセリフを吐く。

「このあたりの担当になりましたおりゅうと申します。」

「こちら私共がおつくりした家ですよね?長い間お住みいただきありがとうございます!」

そう話すと、明らかに佐々木さんの顔が曇ったのがわかった。

オーナー様ですら、僕を拒絶するのかと。

僕自身も不安の表情を繰り出してしまったが、

 

「、、、入りなさい。」

佐々木さんは僕にこういった。

飛び込みをしていて、なんと初めて家にあげてもらえる。

不安が一気に吹っ飛び、謎に手ごたえを感じた。

玄関で自分の足のにおいは大丈夫か、などと至極どうでも良いことを気にしつつも、
ワクワクとドキドキで、笑みがこぼれそうだった。

やっと話を聞いてもらえるチャンスができたのだと、
うれしさを噛みしめながら、食卓テーブルに着席した。

カタログを取り出し、自社の最新の住宅設備について話そうと思ったその時だった。

 

「旦那はこの家に30年間恨みつらみを言いながら、去年死にました。」

カタログを取り出す手が止まった。
佐々木さんの放ったセリフが理解できず困惑した。

エアコンが聞いていた部屋だったのにも関わらず、一筋の汗が僕の頬をつたう。
明らかに暑さで出た汗ではないことだけはわかっていた。

話を聞いてみて、佐々木さんの話した内容をまとめると

30年前に家をうちのメーカーで建てることを決めたらしいのだが、
その当時の営業マンがあまりにもクソだったらしい。

契約したものの、間取りは自分たちの希望とは異なるモノだったし、
うまい口ぶりに乗せられて、不用意な設備まで契約してしまった。
契約した後は困ったことがあっても、適当に言い訳されて来てくれない。

断熱性に優れていると聞いていたのに、
実際に住んでみたら夏はめちゃくちゃ熱いし、冬はめちゃくちゃ寒い。

隣地との距離が近すぎて、生活音が漏れるから生活しにくい。

外壁はすぐにはがれてきて、自分たちで複数回修繕する羽目になった。

この家に住んで満足したことは無く、旦那さんもずっと怒っていたらしい。

 

「あなたのとこから家を買ったことを後悔していますよ。」

トドメ一撃を食らった。

涼しい部屋であるはずなのに汗が止まらなかった。

こぶしを強く握りしめながら、ただただ話を聞く以外どうすることもできなかった。

何もできない自分の無力さが悔しかった。

悔しくて、体が熱くなって、また汗が吹きだしていた。

 

「、、、、申し訳ございませんでした。。。」

 

自分が全く見ず知らずの、先代営業マンの罪を謝罪した。

謝ってもどうしようもないことくらいわかっていたが、
他にとれるアクションが見当たらなかった。

頭を上げると、悲しげなまなざしをした佐々木さんと目があったが、とっさに逸らしてしまった。
だって今の僕にはどうすることもできない。

 

佐々木さん家を後にし、メルセデスにまたがると、
長時間直射日光にさらされたサドルはとんでもなく熱くなっていたが、
そんなことを感じるような心理的余裕もなく、ふらふらと漕ぎ出し帰路へ着いた。

 

この事件から一週間がたったころ、僕は佐々木さんのことがどうしても気になっていた。
なにか自分にできることは無いのか、という気持ちが抑えられず、
気付いた時にはメルセデスにまたがり、10キロ先の佐々木さんちへ
自転車をこいでいた。

何を話すか、何をしてあげられるか。
具体的なことは全く考えていなかったが、

佐々木さんの家の前まで付くと、
佐々木さんが夏の暑い日差しが刺す中、
麦わら帽子をかぶって一人で草むしりをしている姿が見えた。

 

「こんにちは、手伝いますよ!」

咄嗟に言ってしまった。

佐々木さんは驚いた様子だったが、
佐々木さんの了承を得る前に、
もうすでに僕の手は佐々木邸の庭に生い茂っている
雑草へ手が伸びていた。

まさか草むしりをするなんて思ってなかったから
軍手もなく素手で開始することになった。

無力で何もしてあげられない自分が今唯一出来ることは、これしかないと考えながら、
一時間ほど草むしりをし続けた。

何か対価を求めるわけでもなく、ひたすらに手を動かし続けた。

その間、特に話すことは無かったが草むしりを終えて、

「だいぶきれいになりましたので、今日はこの辺で失礼します!」

と言い残して、佐々木さんちを後にした。

 

その日からまた三日後、僕は佐々木さんちにチャリを飛ばしていた。
愛車メルセデスも僕の意思に賛同しているかのように、軽快に車輪を回転させ続けた。

 

その日も佐々木さんは庭で草むしりをしていた。

そんなこともあろうかて、その日僕は展示場から軍手を持ってきていた。
モデルハウスの案内をする時用の軍手をパクってきていた。

メルセデスからおり、軍手をしながら

「佐々木さん!手伝いますよ!」

何故か草むしりに大してやる気満々の僕をみて、佐々木さんは少し笑っていた。
佐々木さんにとっても、僕みたいなやつは初めてだったのかもしれない。

その日は草むしりに加えて、ガーデニングへ水やりもやらせていただいた。

毎朝展示場に誰より早く出社して、展示場周りの草花へ水やりをしていた
僕にとってはもはや得意技だった。
どこにどのくらい水をやればいいのか、把握しているからだ。

佐々木さんちの庭の草花は、ものすごくきれいに手入れされていたから、
ガーデニングが好きであろうことはすぐに分かった。

そんな僕に水やりを任せてくれたのは、少し信頼してくれたのかな。

水やりを終えると、佐々木さんは僕が予想だにしなかったことを口にした。

 

「来週の火曜日の12時、ここへ来なさい」

 

え?

何が何だかわからなかったが、
僕は何故か逆にアポイントを打診されてしまった。

何のアポイントか聞く勇気がでず二つ返事で僕はそれを了承した。
この会社に入って、初のアポイントがこれになった。

迎えた当日、僕はちょっと早めに展示場を出発し、
道中の花屋さんで佐々木さんへお花を買うことにした。

とりあえずこんな自分と会う約束をしてくれたお礼のつもりだった。

僕がその時買ったのは「イングリッシュラベンダー」

濃い紫色で、大株になるイングリッシュラベンダーは
初夏を彩る風物詩にもなっている。

癒しのフローラル系の香りが、非常に心地いい。

少しでも佐々木さんの心が安らぐようにと、そんな思いを込めて購入した。

 

いつもにようにインターフォンを押し、出てきた佐々木さんに
手土産のイングリッシュラベンダーを手渡すと、

「ちょうどラベンダーを買おうかと思ってたの。ありがとう。」

と、佐々木さんは笑顔で喜んでくれた。

さて、玄関でのプレゼントも終わったことだし、
肝心のアポイント内容を聞きたいと思っていた時だった。

 

「今日、うちでお昼ご飯食べて行きなさい」

 

予想だにしていなかった、意外過ぎる展開にキョトンとしたが、
当初僕と会ったときに見せた佐々木さんの暗い表情は一切なく、
僕は安心してお言葉に甘えることにした。

 

出てきたメニューはおにぎり、冷たいそば、みそ汁、漬物。

特に漬物は佐々木さんお手製らしく、たくあんがこの上なく美味で、
ごはんに向かう箸のスピードを加速させた。

 

食事中色々な会話をする中で新卒だということを話していると、

「何でこの会社で働くことにしたの?」

と聞かれてしまった。

いつも周りには「この仕事がしたかったからだ」と悔しさをこらえ嘘をついていたが、
佐々木さんには本心を打ち明けることにした。

 

僕はありのままをつらつらと語った。

就職大失敗した、住宅営業なんて本当は微塵もやりたくなかった。

同期にもに馬鹿にされて毎日死ぬほど悔しい思いをしてきた。

周りを見返すというよりは、適当な選択をした自分への報復で新人賞とりたい、そのために最低年3棟は契約が必要

でも店長には飛び込みしかさせてもらえなくて、悔しい。

少しの可能性を信じて飛び込みで毎日往復20キロチャリをこいでいる

でも煙たがられ、罵倒され挙句果て警察に通報され、悲しみに暮れている中佐々木さんと出会ったこと

佐々木さんに対して何もできない自分が情けなくてたまらないこと

そういう諸々の悔しさをバネに自分は頑張れているんだということ

 

佐々木さんはうんうんと頷きながら、聴いてくれた。

そしてにっこりと笑い、

「若い時の旦那みたい、あの人も悔しがって苦しくて、それでも頑張ってたわ」

「でも素敵。絶対にうまくいくよ。」

旦那さんはすでに他界していたが、
言葉を僕にかける佐々木さんは、まるで旦那と僕を重ねて見ているようだった。

 

初と言えるランチアポも終えた後も、週2くらいのペースで佐々木さんのところへ通った。

 

家を売ろうという気持ちは無く、ただ佐々木さんと話しに行くために。

自分もなんとなく息抜きできるからいいかなと、そのくらいの気持ちで通っていた。

その後も何回かお昼をごちそうになり、飛び込みを頑張る自分にポカリスエットをいつも持たせてくれた。

 

佐々木さんと出会ってから一か月半がたったころ、

僕はまたもや衝撃の事実を知ることになる。

 

市役所に用があり、建築課に立ち寄った時、

「計画道路区域」なるマップが目についた。

計画道路とは、交通の利便性のために大きな道路を通す交通計画のことで、
道路が通る場所に住んでいる住民は、いわゆる立ち退きを求められる。

勿論国から住民に向けてお金はでるが、今まで自分たちが住んできた
縁の場所を離れることを余儀なくされるのである。

 

道路工事が始まるのは再来年。

「まさかな」と思いつつ「計画道路区域」なるマップを見た。

ドキッとした。

がっつり、佐々木さんの家が、計画道路区域内に入っていた。

「まじか、そんなドラマみたいな展開あるのかよ」と目を疑ったが、
これはノンフィクション、事実だった。

 

僕は急いで市役所からメルセデスをぶっ放し、
佐々木さんへその事実を伝えに行った。

「知っているよ?」

「えっ、、、、?!」

 

計画道路のこと、佐々木さんは知っていた。

市役所の人が一昨年からから案内に回って来ていると、
またそれをネタに多くの住宅営業マンが訪問にきていたと。

当然っちゃ当然だ。

「あなたこのこと知らなかったの?」

 

「あの、、知りませんでした。。。」

 

佐々木さんは驚きながらも笑っていた。

営業目的でなく、ただ佐々木さんちに通ってただけ僕に驚いていただろう。笑

 

その日も昼食をご馳走してくれた。

またもや自家製のたくあんが、ご飯を食べる箸を加速させていたのを覚えている。

 

 

食べ終わった後、初めて家づくりの話をした。

 

間取りの話から、耐震性の話、断熱性の話、外壁の違いや、
雨のよごれた水をはじく塗装のことなど、
新卒研修で覚えたありったけの知識を全て披露した。

 

 

提案でもなんでもない、ただの説明。

今考えるとウザかったろうなあと思う。

 

でも全てを出し切り、自己満足。

 

改めてパンフレットを渡して

帰り支度を始めたその時。

 

「あなたから家、買うよ。」

と。

 

「え??」

佐々木さんの言葉に耳を疑ったが、

「最近あなたと話してて、決めたの。いいでしょ?」

「ほらどうせ立ち退きなんだし、せっかくだから新しい家に住みたいし」

と。

「も、もちろんです!お願いいたします、、、ッ!」

あまりの驚きとうれしさで、声が震えていたが、
展示場に案内する日を約束をした。

約束の日当日、僕は先輩を連れて営業車で

佐々木さんを家まで迎えにいき、その後展示場へ案内した。

 

これが、展示場での初めての接客だった。

 

展示場案内のロープレで、ホストみたいだと笑われていたレベルの接客だったが、
初めてのお客様(姫)だから精一杯アテンドした。
その様子に佐々木さんも微笑んでくれていた。

 

その後はトントン拍子で話が進んでいった。

打ち合わせには店長にも同行してもらい、何回か打ち合わせをして、
正式に契約が決まった。
佐々木と出会ってから、わずか2か月の話だった。

 

佐々木さんは別の場所に土地を持っていたから、
そこに建物を建てるだけでよかった。

僕の働いていた住宅メーカーは、どちらかと言うと富裕層向けの家で、
戸建て住宅業界の中でも、価格が1番高かった。

立ち退き費用として国から出る予算をオーバーしていたはずなのに
佐々木さんは僕と契約してくれた。

 

5ヶ月後年明け、1月には立派な木造の平屋が建った。

初契約で建った家。

鍵の引き渡し時には、感動で涙があふれそうだったなんとかこらえていた。

すると佐々木さんが、僕にサプライズプレゼントを贈ってくれたのだ。

 

LACOSTEの水色の無地のネクタイだった。

 

「あなたは、爽やかでまっすぐ人だから」と。

こらえきれず、うれし泣きした。
下ではなく、上を向いて流せる涙だった。

 

夏に佐々木さんと契約のち、展示場で接客させてもらえるようになった僕は
追加で2棟契約をすることができていた。
新卒で、累計契約数3棟。

大したことない数字に見えるが、新卒にとってはかなり大きい成果だった。

 

3月、僕は、新人賞を獲得した。
その時はすでに自分への復讐という感情はいつの間にか消え去っていたが、
目標としていた王座に着席することができたのだと。

 

営業車はすでに与えられていたが、
その日はメルセデスにまたがり、夕刻佐々木さんの元へ報告しに行った。

 

めちゃくちゃ喜んでくれた。
僕の新人賞獲得を、まるでわが子が成し遂げたことのように
ほめてくれた。

 

でも、それから4か月が過ぎ、急に悲劇は訪れた。
佐々木さんの娘さんから、連絡があり話を聞きに行った。

僕が社会人2年目の夏、佐々木さんは亡くなったのだ。
ちょうど佐々木さんと出会ってから、わずか1年後の出来事だった。

僕と会った時から病を患っており、そんなに先は長くなく、
本当は家を買うつもりはなかった。

が、

「不思議な子がいて、その子から家を買ってあげたくなった」

と佐々木さんは娘さんによく話していたらしい。

本来買う予定が無かった家を

「僕だから」買ってくれたという事実に、涙が止まらなかった。

2千万もお金を払う必要があったのに、契約してくれたのだった。

 

ちょうど佐々木さんへ家へお引き渡してから、
1年後、僕はキャリアアップも兼ねて、
ECのコンサル企業に転職することが決まった。

娘さんにもそのことを伝えに行った。
どうやら佐々木さんの家は、娘さん夫婦で住むことになったらしい。

娘さん夫婦にお別れを告げた後、
こんなLINEをいただいた。

 

いまでも茨城県に行く用があるときは、
必ず佐々木さんちの前を通るようにしている。

 

佐々木さん自身、新しい家に住んでくれたのはわずか半年だったが、
満足してくれていただろうか。

僕はあの頃の佐々木さんの恨みつらみを、なくすことはできただろうか。

 

まだ先になると思うが、

いつか佐々木さんと話す機会があれば聞いてみたいと思う。

———————–

いかがだったでしょうか。

ECコンサル以前、住宅メーカーの営業をしていた時の
当時を振り返り、僕もどこか懐かしみながら書いてみました。

ビジネスの原理原則を学んだ今だからこそ、振り返ってみると

「佐々木さんは僕のファンになってくれていたんだろうなあ。」

と思います。

もちろん当時はファンにさせるとか、
価値観の教育とか一切考えてませんでしたよ?!笑

でも今考えると、僕は喜怒哀楽の感情をこめストーリー
を佐々木さんに話していました。

・就職大失敗した、住宅営業なんて本当は微塵もやりたくなかった。

・同期にもに馬鹿にされて毎日死ぬほど悔しい思いをしてきた。

・周りを見返すというよりは、適当な選択をした自分への報復で新人賞とりたい、そのために最低年3棟は契約が必要

・でも店長には飛び込みしかさせてもらえなくて、悔しい。

・少しの可能性を信じて飛び込みで毎日往復20キロチャリをこいでいる

・でも煙たがられ、罵倒され挙句果て警察に通報され、悲しみに暮れている中佐々木さんと出会ったこと

・佐々木さんに対して何もできない自分が情けなくてたまらないこと

・そういう諸々の悔しさをバネに自分は頑張れているんだということ

僕はあの当時ただただありのままを話していたのですが、

「悔しい」という感情をバネに「目標を達成すべく行動する」
という僕の価値観に、
共感してくれてたんじゃないかなと思います。

また、いろんな営業マンが家の売り込みを佐々木さんちにしに来ている中、

僕が佐々木さんのためにやっていたことは、

「草むしり」と「水やり」です。

けど、ガーデニングが好きだった佐々木さんにとっては、
何よりそれが僕からの「価値の提供」になっていたのだと思います。

他の営業マンが家に関する情報を佐々木さんに届けていましたが、
佐々木さんにとっては、「草むしり」と「水やり」が
価値の高いものだったのです。

 

・「価値観」の教育→共感→ファン化
・「価値の提供」→ファン化

この原理原則を、偶然にも満たしていたのです。

僕のファンになってくれたからこそ、
2000万円というお金も出してくれたと思うと、
ファンを作ることが如何に重要かがわかりますよね。

だからまず、自分の商品を売る前に、
ファンにさせることに全力を尽くしましょう。

ファンがいれば、なんでも売れます。

長文でしたがお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました